17.12.13

セカンド・オピニオンに関する個人的な経験について。

ペンザンスもランズ・エンドも、とにかくよく歩いた旅でした。


11月の中旬に、4泊5日(寝台車一泊も含む)でコーンウォールに行ってきました。私も年をとるごとに、いつもは時の流れるスピードに圧倒されるばかりなのですが、このコーンウォールの旅行は、たった1ヵ月前のことなのに、あれからもう1年くらい経ってしまったような気がします。

この旅の間に、ペンザンスのギャラリーで会して談笑したふたりの人が、この一ヵ月の間に、続いて心筋梗塞を患いました。ひとりはこの世を去り、ひとりは幸いこちら側に留まることができました。

たった10日前にあんなに元気に、幸せそうにしていた人が、ある朝ベッドのなかで冷たくなっていたという話を聞いて、本当に人生はなにが起こるかわからないし、一日一日が、実は、終わりに向かうカウント・ダウンなんだなぁと、考えずにいられませんでした。

スティーブ・ジョブスが語った「今日が自分にとって最後の日だったら、自分はこれからしようとしていることをするだろうか、と、毎朝鏡のなかの自分に自問する。いつかその日は本当に来るのだ」という言葉が、いままでよりも重みを増したのも、この1ヵ月のことです。

これから私が書こうとしていることは、この1ヵ月に私が考えた生と死の境界線のこととは、直接的には関係ありません。直接的には、と但し書きをつけたのは、間接的には大いに関係していると思うからです。

私自身の話になりますが、去年の暮れから、今年の前半にかけて、原因不明の右腕のしびれに悩まされていました。

最初は、軽いピリピリというしびれだったのが、だんだんひどくなり、腕が重くだるくなり、鞄を持つのが辛くなって、鍼治療に通ったりもしました。鍼は、治療してもらったときは、一瞬少しよくなったような気がするのですが、数日後にはまたもとにもどってしまいます。

病院にも行きましたが、特に異常はないので、筋肉を弛緩させて痛みを和らげる薬を処方してあげるから、それを飲みながら、理学療法に行ってみたら、というアドバイスを受けたのみ。原因もわからないのに、間に合わせ的に薬で筋肉を弛緩させることには抵抗があったので、結局薬は飲まず、ヨガに通って、症状を和らげるだけでごまかしていました。

このしびれがきれいに消えたのは、6月に右側奥歯の根幹治療が完了したときのことです。治療の最中に、右腕がビンビンとしびれて、驚いたのですが、歯が治ると同時にしびれもとれたので、おそらくなんらかの関係があったのだろうと思います。

私はもともと歯が弱く、日本でも歯医者ジプシーを繰り返して、二桁の歯医者さんにかかりましたが、ロンドンでは3人目の歯医者さんが大当たりで、10年以上にわたって同じ先生に治療していただいていました。この先生が一昨年、引退されて、次の先生に引き継がれてから、ちょっと疑問に思うところがいくつかあり、最終的にこの歯医者さんでこの奥歯の根幹治療に失敗し、抜歯してインプラントしかない、と宣告されてしまったのです。歯が欠けてしまったので、以来、左側だけで噛むようになりました。それが、ちょうどしびれの始まる数ヵ月前のことです。

根幹治療が失敗したとはいえ、まだ半分くらいは残っている歯を抜いてしまってよいのか、すごく迷った結果、知人が何十年もかかっているという歯医者さんを紹介してもらい、門を叩きました。新しい先生には、ダメかもしれないけれど、もう一度、彼らと提携のある根幹治療の専門医に診せたほうがいいのでは、とアドバイスされ、専門医の先生にかかること4回ほどで、今年の6月、一度は諦めた歯の根幹治療が完了したのです。腕のしびれがなくなったのは、この頃のことです。

その後、様子見期間とアフターフォローのチェックアップがあって、今日、無事に差し歯が入り、両側で噛める喜びを、「文字通り」噛みしめました。

一方で、私の父は10年ほど前に癌で亡くなったのですが、戦争経験のある私の親世代にありがちな、ひとりのお医者さまにかかったら、別の医者に「浮気」するなんて、とんでもない、と考えるタイプでした。

ほかでセカンド・オピニオンをもらっていたら、結果が変わっていたかのかどうかは、いまとなっては知る由もありません。心のなかでは、どこかでセカンド・オピニオンをもらってほしい、と、娘としての私は、もちろんそう思っていましたが、親であってもひとりの大人として、彼が自分で判断して決めたことを尊重したいという気持ちがあり、私の気持ちをひとりよがりに押しつけることはできませんでした。一部の人にとっては、そういう私の態度は「冷たいもの」に映るかもしれませんし、それを否定する気持ちもありません。

ただ、なにが正しいとか、正しくないとか、答えのないものに対してジャッジメンタルになるのは、私には不毛なことに思えますし、ときに正しいか正しくないかは別として、まるごと受け入れなければならないこともあるんじゃないかなぁと思うのです。

私の場合は、本当にあのときに諦めて抜歯してインプラントにしなくてよかった、と思える結果でしたが、それもとりあえずいま思っていることで、もしかしたら、来年はインプラントのために別の歯医者さんに通っていることが、ない、とも言い切れません。

どういう選択をするにしても、できるだけ後から後悔しないように、今日という日がカウント・ダウンされて、もう戻ってこない一日だということを心に刻んで、まだこちら側にいる人間は、一日いちにち、生きていかないといけないなぁ、と、心から思う今日この頃です。来年の夏のプランをいきいきと語っていた、その人に、その夏が訪れないこともある、という単純な事実に、正直なところ打ちのめされました。


コーンウォールで、自分のおみやげ用に買ったカード。
上が陶芸家のバーナード・リーチ。下がミナック・シアターをつくったロウェナ・ケイドです。
ロウェナ・ケイドは、今後の私の人生において、心のメンターになりそうな予感……。


※歯医者さんについては、お友だちのまぁちゃんも、興味深い記事をブログにアップしていました。こちらもぜひ




















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